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自転車レーン [北京]


自転車レーン 建国門内大街 友誼商店前あたり

昔は自転車
昔の北京の写真を見ると、必ず大量の自転車が通勤に走っているイメージだった。
今は、もうその光景はない。東京に比べるとやや自転車を多く見るかもしれないが
朝晩に大量の自転車が走りまわるということはなくなった。経済力がついて、自動車を
買える人が増えたこと、地下鉄やバスが整備されたことなど、いくつか理由はあるだろう。

圧倒的な自動車の数
北京にいくつか問題があるとすると、その自動車のための交通渋滞は、その一つだろう。
移動をする時、特にそれが朝晩のラッシュの時間だと、通常の倍の時間を考えておかないと
大変なことになる。それほど大変な数の車だ。北京オリンピックの時にはどうなるのだろう。
北京ナンバー以外の車は市内に入れないということだが、それでも大変な数のはずだ。

自動車レーン
大きな通りには必ずゆったりとした自転車レーンが整備されて走りやすそうだ。このレーンには
自動車が入れない。これは過去の大量の自転車通勤のなごりか。これなら自転車も安全だ。
ただし、交差点やもっと狭い道路が問題だ。中国の運転の特徴は、自分以外は自分以外と
いうこと。青信号で横断歩道を直進している私に、右折か左折してくる車が突進してくる。
もたもたしていると警笛を激しく鳴らされる。人や自転車の弱者が保護されるということはない。
ここはジャングルだ。車の所有者は人生の勝者だから、歩行者や自転車などの人生の
落ちこぼれに配慮の必要はないのだろうか。さらに悪いことに、自転車に乗る人も、
同じメンタリティのようだ。人の都合やルールやエチケットは関係ない。それで結果は
あちこちで起こる自転車と車の事故だ。立派な自転車レーンだけでは自転車は
守れない。


琉璃廠 [北京]

「旅」
旅をしている。家を離れてもうずいぶん経った。いつ始まっていつ終わるのか。
分からない。歩いてきた道はあるが、自信がない。住んでいる家を出て、
歩き始める。歩くと前には進むがそれが、前か後ろか、過去か未来かよく分からない。

琉璃廠
この場所は、北京の中心部のやや南西。天安門からのそう遠くない。書画や画材、印鑑、
本など売られている。街の名前は、「琉璃廠」。リュー・リーチャンと読むようだ。この場所が
好きでよく出かける。名前もなぜか家を遠く離れたというような感じがする。流離とは違うが
同じ音だからだ。

観光客の街
観光客がたくさん集まるが、この写真を撮った場所は、西の外れ。店も中心部の大店ではなく
小さな家族経営の店ばかり。夕方で観光客もいない。寂しげな雰囲気が気に入ってシャッターを
切った。


路上の理髪店 [北京]


あちこちでこんな理髪店が

路上の理髪店
日本でも簡便な理髪店が増えてきている。他の分野と同様に、高級化・パーソナル化
の一方、廉価化・簡便化の流れが理美容にも起こりつつある。また、それは属人的な
サービスではなく機会別のサービスでもある。日本のような、高度に消費活動が
開発された、貧富の差の少ない社会では、高級と廉価は単なる機会や目的の
違いで、同一の個人に同居しうる。平均が意味を持たないほど階層が分化し、
分断された中国では、この路上の理髪店の位置づけは何であろうか。

気持の良いサービス
5月の晴れたこんな日には、どんな豪華な施設で髪を切ってもらうより、爽やかな風に
吹かれていたらどんなに気持ちが良いだろう。もし日本でも可能なら、髪を洗って貰えない
などのデメリットがあるので価格は考慮が必要だが、あり得るサービスだと思った。


北京市労働人民文化宮 [北京]


北京市労働人民文化宮の糸杉の並木

今は公園
北京市労働人民文化宮は故宮の敷地の南東に位置する。天安門広場から天安門を
くぐって右手だ。ここは「大廟」と呼ばれる、皇帝が先祖の霊に祈りを捧げる場所だった
らしい。そう書いてあるから間違いないと思う。それが公園になっている。荒れ果てて
いたのを、周恩来の時代に整備して公園になったらしい。労働人民,
つまりWorking peopleの文化センターだ。学校などが敷地内にあり、2元の有料の
公園だが、学校へ通う学生は無料らしい。

雰囲気は神社仏閣
施設の真ん中に宗教的な施設があるからか、日本の神社仏閣に雰囲気は似ている。
でもテニスコートや薬膳で有名なレストランもあるから、日比谷公園ということもできる。
天安門広場の雑然とした混雑に比べると、知名度が低いので訪れる人が少ないせいか
落ち着いた感じがする。


リフティング [北京]


バトミントンの羽を使ったリフティング

サッカー
中国人のサッカー熱は結構なものである。残念なことに男子代表はあまり強くない。
それに比べて、女子代表は毎回、FIFA女子ワールドカップの代表に進める実力がある。
プロリーグも人気がある。

サッカーバトミントン
工人体育館そばで見かけた光景。バトミントンの羽の大きなものを使って、リフティングを
行う人たち。この周辺で数組が同じ遊びに興じていた。日本では見たことがないが、
中国でもメジャーな遊びかどうかは今は分からない。


景山公園 [北京]


景山公園「万春亭」から北を望む

景山公園
故宮のすぐ北側に故宮を見下ろす便利な位置に山があると思い、たぶん風水だろうと思った。
しかも、平らな北京に小山があるわけだから人工の丘だと想像した。ウォーキングを終えて
帰ってから調べたら、やはり風水だった。明の時代に永楽帝が北京に遷都する際に
風水の法にのっとって、ここに丘を築いたそうだ。北からの悪い気をこの丘が堰き止めて
いるのだろう。丘の高さは43m。軽い散歩にちょうど良い運動量だ。

万春亭の仏像
故宮を見下ろすように、万春亭に仏像が鎮座しているが、これは1999年に置かれたもので
明が滅んだ後は、この公園になっている一帯は荒れ果てていたそうだ。今は5元の有料の
公園で、園内には手入れの行き届いた花畑などもあり、きれいな公園になっている。

地安門
天安門に対応して、故宮の北側に地安門があるわけだが、門そのものは現存しないようで、
地図で確認すると、地安門西大街と東大街の東西の大通と、地安門内大街と外大街の
南北の通りの交差点に地安門があった筈のことが確認できた。道路標識で地安門という
文字を見かけるので、何人かに聞いてみたが誰も知らなかったが、これで納得した。


槐樹の並木 [北京]

エンジュ
槐樹は落葉高木で葉を落とすと不思議な形をしている。代々木公園に1本あって
冬にその不思議な枝をいつも見ていた。この木が北京の街路樹として植えられて
いる。北京を代表する樹木とのことである。

槐安(かいあん)の夢
槐の枝の下で眠ってしまった唐の若者が槐安国に行き、栄華を極めたが、
夢から、目覚めるとそこは蟻の国だったという話が残されている。この木の
緑がきれいな頃は昼寝にぴったりだったのだろう。気持ちよく眠った間に
見た夢で数十年にもおよぶ幸せな人生を経験したわけだ。儚い喩えと
いうことだが、夢であろうとなかろうと生きていることは儚いのも事実だと
思う。だからこそ、生きる1秒1秒を大切にして、自分を人生を積み上げて
行かなければならない。でなければ、現実に生きたことが槐安の夢の
ようになってしまう。

花が咲くころ
同じマメ科で親戚のアカシアは、大連の有名な街路樹で花が咲くころは
きれいだそうだが、北京の大きな通りにも同じアカシアの街路樹がある。
北京のアカシアも槐樹も花の季節が楽しみだ。


新緑の頃 [北京]


北京の緑
冬の終りに北京に来たので、来た当初は灰色の街だった。4月に入り、5月になり、
木々の緑が鮮やかになると思った以上に緑にが多いことに気がついた。散歩がてら
歩いていると街のあちこちで並木の植樹も行われている。オリンピックに向けた
街の美化計画が進んでいることが伺われる。

街の改造
日本も64年のオリンピックを前に、青山通りや高速道路などの道路の整備、
多くの施設の建設が行われた。新幹線も「夢の超特急」と呼ばれて、
オリンピックに間に合わせて開通した。日本も今の北京と同じだったのだ。

誇りと埃
街のあちこちが掘り起こされ、ピルの建築が数え切れないほど行われ、
散歩をしていると歩き難いことこの上なく、また大変、埃っぽいのも事実。
できればあまり外を歩きたくないが、良い天気と新緑に誘われて、外を
歩くと、同じように多くの人が歩いている。埃だらけの靴を履いて、
ピカピカのビルときれいな緑の並木道に、オリンピックを開く市民の
誇りが満ちているように見える。40年前に日本もまた埃の道を
歩いたのか。私たちが誇りに思える国や街をどうすれば取り戻せるのか。

隗より始める
とりあえず、自分のしていることに誇りを持って、全力であたらねばと
思う。自分は自分の人生しか生きられないのだから。それに埃を
払う、良いブラシも買わねば。


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