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 [中国]

鼎って?
中国のあちこちで見かけるのが、これ、鼎。ビルやお店の玄関にも、狛犬のセットか
鼎のセットがおきまりの装飾のようです。確か、上海の人民公園の中の博物館は
鼎の形をしていました。

鼎の軽重を問う
この言葉は普段、使う言葉です。その人物の本質とか対応にいついて異を唱える
際に使われる言葉という理解でした。

Yahoo!辞書で調べると

《楚の荘王が、周を軽んじ、周室に伝わる宝器である九鼎(きゅうてい)の大小・軽重を
問うたという「春秋左伝」宣公三年の故事から》統治者を軽んじ、これを滅ぼして天下を
取ろうとする。権威ある人の能力・力量を疑い、その地位から落とそうとする。
「会長として―・われる」[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

ということで、権威や地位のある人の鼎の軽重を問うわけで私の鼎の軽重は問わない
ということでした。

なぜ鼎が
やはり今でも鼎をよく見かけるのが、言葉だけ伝わって残った日本と違い、国家の
宝や天子の王位や権威の 象徴といったイメージが今にも伝えられているからでしょう。


西瓜はどこからくるか [中国]


西瓜売り

西瓜はデザートの主役
どのレストランでも、食後には西瓜がデザートとしてサービスでついてくることが多い。
日本では西瓜がまだ珍しい季節から、西瓜がかなり出回っている。雲南省とか
南の方から北京まで運ばれてくるのだと思っていた。

馬車の西瓜はどこから来たのか?
ところが、先日、街で写真のような西瓜売りを見かけた。西瓜は産地直売のような感じで
馬車に載せられ、この二人連れに売られている。どう考えても、北京周辺で
できた西瓜を売りに来ているとは思いない。でも売り方は、自分で作った西瓜を
売りにきたスタイルだ。産直でなければ、この二人は市場などで仕入れて、わざわざ
馬車で売りに来ているのか、あるいは重油などを使って温室で栽培した西瓜を
売りに来ているのか、どちらか分からない。重油を使った温室栽培で利益がでるほどの
価格で売れるとは思えない。どんなレストランでもサービスでついてくるほどの果物は
価格は相当安いはずだからだ。


街の匂い [中国]

街の匂い
街には匂いがある。それは人の匂いだ。こんな道を歩いていて、何か匂うと
いう訳ではない。例えばエレベーターの中で何か匂うとすれば、香水や
化粧品の匂いだが、これはどこも同じ。北京で気がつくのは酢の匂いが
よくすることだ。

酢の文化
料理屋さんで日本なら必ず、醤油がテーブルの上に置かれていることが
多い。勿論ソースもあるが、和食や蕎麦屋ならソースがない。でも
大抵、醤油はテーブルの上だ。中国はこれが黒酢。どこに行っても
黒酢が置かれている。いろいろな食べ物に日本人なら醤油で味付けする
ところを黒酢でするのだろう。食文化の違いといえばそれまでだが
醤油は調理段階で味付け、色つけに使われ、最終的なカスタマイズは
黒酢ということか。これに比べて、日本の食文化は刺身のように素材を
活かして調理して、最終的な味加減は醤油を自分でかけて楽しむ
ということのようだ。

歴史と文化
どちらが良いかどうかという話題でなく。単に違うということ。食べることは
文化の基本だから、あらゆることにこれがあてはまる。だから、単純に
違うということを受け入れることが大事だと思う。理解することではなく、
受け入れることだ。思い出すのは、アメリカ人に昔言われたこと。
「日本人」や「日本食レストラン」は魚臭いと言っていた。確かに
鰹節のだしがありとあらゆるものに使われている。それが日本人の好物だ。
これも単純な違い。アメリカ人は鰹節のだしは魚臭い。歴史や食文化を
考えれば当たり前のことだ。

違いと受容
人種だけでなく個人でも同じ。育った環境や家庭や親の好みが違えば
食べ物やありとあらゆる物に対する好みが違って当たりまえ。人に
自分の好みを押し付けることがないように気をつけねばと思う。
だけどこれが難しい。


30代の成功者 [中国]

中国にはたくさんのお金持ちがいるようだ。北京のどこへ行っても高級車がずらっと並んでいるし、ショッピング・センターには私など縁の無いヨーロッパのブランドのブティックが軒を並べている。一体どこに迷い込んだかと錯覚してしまう。これは一体何なのだろう。人民のための国家かお金のための国家か。日本でも階層化や下層社会という言葉が囁かれるようになったとは言え、まだまだ均一的な社会である。お前が世の中知らないのだというなら北京に来て、その差を見てみろと言いたい。その貧富の差は日本では想像できないほど大きい。

この国は明らかに成功者と脱落者から成り立っている。いや、あるいは一部に極端に成功した人がいて、残りはこれからなのかもしれない。北京で仕事を始めて、統計を知ったのだが、年収は30代が、40代より高いそうだ。40代や50代以上の多くの人はこの国が行った壮大な社会実験の影響を受け、教育を受ける機会や社会的な成功を考えるエネルギーを奪われたのだろう。

電通が2007年2月に行った「北京、上海、広州三都市における中国コミュニケーション調査」によると、インターネットの普及率は、20代が62.5%に対して40代では17.9%と極端に低い。40代はいろいろな面で影響を受けているのだろう。

開放が進んだ90年代に起業して成功している経営者は多くが30代だ。彼らは外国語教育を始めとする教育を受け、開放の進捗とともに成功するチャンスを掴んだ。今、彼らは欧米の最新のファッションとドイツ車を手に入れ、中国の経済が拡大するにつれさらなる富を手にしようとしている。

でも、街を行くどの顔を見ても明るく感じるのは明日が今日より良い日になると信じられる若い社会を私が勝手に想像しているだけなのか、日本の行く末を考えて隣の芝生の緑の輝きを見ているだけなのか私には分からない。


真剣勝負 [中国]

Liu Li Chang 琉璃廠 という場所である。いろいろな書画、画材、書道材料、骨董品、印鑑など売られている。どれが本物でどれが偽物か、分からない。いや、そもそも、そんな違いというか概念が無いかもしれない。店で売られているのが偽物というか模造で、店も前の路上で売られている書画が無名の天才の書いた本物かもしれない。物の価値とは何かを問いかけているようだ。紫水街という、ブランド物の偽物を堂々と売っている市場があるが、そもそも偽物で品質の保証も無いから価格もあってないのと同様だ。プラダのバッグやアルマーニのスーツが偽物として売られている。少しでも話しかけようものなら電卓片手にすごい勢いで攻め立てられる。価格はすぐに半分以下になる。でも適正な価格が分からない。同じく物の価値を問いかけられている。そもそも偽物を買うのか、いくらなら買うのか。自分のポリシーの問題だ。そういう意味で琉離廠で物を売る人も紫水街で物を売る人も真剣勝負だ。私たちはそんな真剣さで物事を考えているのだろうか。ブランドとか値札でしか物の価値を見ないのだろうか。


中国は広い、大きい、何でもあり。 [中国]


天安門である。やたら広い。人もたくさんいる。みんなおのぼりさんだ。記念写真を撮って楽しそうである。きっと汽車で30時間ぐらいかけて来た人が一杯いるはずだ。人口も13億人いるから、いろいろな人がたくさんいるのだろう。足の早い人、絵のうまい人、計算が早い人、大食いの人。日本人に1人しかいない天才も10人いるという計算だ。でもきっと働かない人も日本の10倍いる訳だから大変だ。その割りに、北京は凶悪犯罪が少ないというのはなぜなのだろう。まだまだ素朴だということか。


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